【読書】 上製本『綿の国星』 / 大島弓子
カラー扉絵、書き下ろし「ミルク・ラプソディ」収録の上製本
『綿の国星』、ご存じでしょうか? 今回の読書は大島弓子先生による猫擬人化漫画、ネコミミキャラの元祖とも言われる少女漫画の傑作『綿の国星』の上製版です。
これはカラー扉絵を収録したもので、さらに書き下ろしとして「ミルク・ラプソディ」という猫たちによるミルク談話のようなお話も載っています。1うーん、復刻するべきなのでは? 表紙の懐かしいかわいさといい、今はどうも手に入りにくいらしいのですが、ファンは絶対手にしたいと思います。
私自身はといえば、もともと白泉社文庫で『綿の国星』を読んでいたのですが、引っ越しのどさくさに紛れてどこかへ行ってしまい、ここ十数年読み返していませんでした。さて改めて上製本『綿の国星』を読み返してみて、かつて子供の時分には理解しきれなかった部分がすとんと腑に落ちてきたことが多かったです。
成長するチビ猫
主人公は、自分はいつか人間になると思っているメスの子猫チビ猫。物語は雨の中捨て猫だったチビ猫が須和野時夫に拾われ須和野家の飼猫になるところから始まります。
生まれてから間もなくの子猫で、母猫も知らないチビ猫は、見るもの全てが物珍しく、好奇心でいっぱいです。「好奇心は猫をも殺す」の言葉どおり、いろいろ危険な目にも遭うのですが、時に人間の優しさに、時に猫の優しさに助けられながら、少しずつチビ猫は物事を知って、成長していくのです。
以下のモノローグは『綿の国星』がチビ猫の成長譚であることをよく表しています。
時夫はさっきでかけたし
私は今ミルクをのみおえて
いい気持ちで まぶたが重い
屋根の上でねむろう
ひとねむりしておきたら
そのとき私は
ホワイトフィールドに一歩
近づいているのです2
ホワイトフィールドというのは、猫に伝わる伝説、「綿の国」に住む美しい猫のお姫様の名前です。ラフィエルというこれまた美しく猫たちから慕われるオスの銀猫が、チビ猫にこういうのです。
おれはあんたをはじめてみたとき猫の直感でこれがおれのホワイトフィールドだって思ったのさ3
チビ猫は成長したらとても美しい猫になる。ラフィエルはそう言って(まだ子猫ですが)チビ猫を口説くのです。またラフィエルはチビ猫に、猫は人間にはならないことも教えます。
第1話にあたる「綿の国星」は、チビ猫が時夫、ラフィエルと出会って、自分の猫としての生き方を定める話でもあるのです。それはすなわち、時夫を選ぶのか/ラフィエルを選ぶのかという選択を迫られることであり、人間を目指すのか/猫として生きるのかであったり、飼猫として生きるのか/野良猫として生きるのかということでもあるのですが、ここの着地点はなかなか難しいところです。なにしろ、チビ猫は幼すぎる。チビ猫も色々考えて行動し決断していてとてもえらいのですが、やっぱりまだまだ未熟です。そして、チビ猫に選択を迫ったラフィエルの真意も測りがたいところで……個人的には、ラフィエルはチビ猫が大人になるのを待つという選択をしたのではないかと思っています。そんな複雑な猫の感情や思惑がひとくくりにされたのが、はじめに引用した子守唄のようなモノローグ。時夫のもとで飼猫として過ごしながら、いつかラフィエルのいうホワイトフィールドになって、ラフィエルが迎えに来てくれることを夢みている。4それが須和野チビ猫という猫なのだ、とこれでやっとチビ猫の自己紹介が終わるというわけです。
『綿の国星』とは、チビ猫がホワイトフィールド=素敵なレイディ(一人前の猫)になるために、猫の社会や恋、命のことなどをひとつずつ学んでいくお話なのです。
昔気づけなかったこと
『綿の国星』というのは結構ヘビィなテーマを扱っている漫画でもあります。今回私が読んで一番「あの頃は気づけなかった」と思ったお話は番外編「ミルクパン・ミルククラウン」。「避妊手術したという猫」のお話です。
ペットを飼う上で、避妊は大切な問題です。無計画な出産に伴う成育環境の悪化などは虐待にも当たります。ただ、ペットの気持ちはどうなのだろう……と考えてしまうことはありますね。これはそんなことを考えてなんだかぼんやりしてしまう読後感ですね。かつてはもちろんこんなこと考えてなかったので、なんだか不思議な話だなくらいにしか飲み込めていませんでした。
去年から
ずーっと
こうして
考えてるのよね
わたしの
思い出したいものは
なんなのだろう5
避妊手術したという猫は去年から何か大切なことを思い出せずにいます。考え事に集中したいためチビ猫が遊ぼうと言っても面倒そうにあしらい、追い返そうとします。
ところで、猫の社会には「子供を大切に」という猫のルールがあります。この猫も大人は「子供の無作法をおおめにみる」ものと言いながら、「あたしはおおめになんかみない」とも言います。
”考え事に集中したい”、”子供の無作法をおおめにみない”、このふたつの理由からこの猫はチビ猫に冷たいように見えるのですが、多分これはどちらも同じ理由から来ているのだと思います。
言ってしまえば、この猫が忘れていたものは
きっと”母性”なんじゃないかなと思います。(親としての気持ちと言いかえることもできるんですが、なんだかニュアンスとしては”母性”を使いたい……難しいところ)
この猫が思い出したかったものは「雨の日子猫をつつもうとしているあたしのケープ」。これを思い出すまでの流れとしては、ミルククラウンにストップモーションをかけたいチビ猫が、目を瞑るとクラウンにストップモーションをかけられると伝え、「あたしあんたがかんむりかむったとこも想像したすごくにあう」と言われたということがあります。
ミルククラウン、かんむりが似合う、かんむりにはケープが必要、そのケープは子猫を雨から守るためのもの、というこの連想は、母猫のイメージを導くものではないでしょうか。この猫は、避妊手術によって忘れてしまっていた母性を思い出そうとしていた猫だったんだと私は解釈しました。
「ミルク・ラプソディ」
「ミルク・ラプソディ」は調べたところによるとこの上製本にしか載っていないお話らしい?です。私も今回が初読でした。
これがまた先の”母性”を導くメタファーとしての「ミルク」を示しているんじゃないかなあと思うわけです。
レタスもタンポポも
ミルクの加工品よ
えらい学者さまもおっしゃってるけど
これをたべすぎると♂が♀に
なっちゃうんですって6
これ あたしと同じ日に生まれた人間の子なんだけど
成長が遅いのなんのって
(中略)
ま ミルクのにおいがするからすきだけどさ7
それぞれ女性性と子供のメタファーになってるんですよね。どちらも番外編なので、まあそういう意図があったと思ってもいいんじゃないでしょうか。
とまあ、かなり『綿の国星』って時を隔てて読むと発見があるぞってことが言いたかったんですよね。
あと、「シルク・ムーン・プチ・ロード」の鈴木猫のその後も「ミルク・ラプソディ」では少し出て来たりするのでやっぱりおすすめです。
続きもじっくり読んでいきたいところですが上製本では続きが出されてないそうで……よければ文庫本などお手にとって読み返してみていただきたいです。