37度のお湯加減

雑記帳です。

【読書】『封印されたグリム童話』 / 訳著:フローチャー美和子

いろんな理由で”ボツ”になったグリム童話

 はじめまして、ユノジギと申します。令和一発目に初めて記事を書きます。前置きはどうでもいいので早速本題に入りましょう。

 

 今回の読書はフローチャー美和子訳著『封印されたグリム童話(2004年、三修社)です。

www.sanshusha.co.jp

 

 グリム童話といえば児童向けにマイルドにされてはいるけれど、実は結構残酷で陰惨で大人向けの物語……一体どんなR18な物語が収録されているのか!とついつい手に取ってしまうであろうおどろおどろしいタイトルが印象的です。

 「グリム童話」も赤い文字で書かれていて、表紙にはずらっと収録タイトルがドイツ語で並んでいます。なかなか開くのに勇気がいるというか、怖いもの見たさ心を刺激されるというか、百物語を聞くときの気持ちやふと夜中に洒落怖の自己責任記事を読み始めてしまうときの気持ちが起こります。

 さて実際の中身はというと、見出しのとおり"ボツ"になったグリム童話というのがふさわしいお話がたくさん載っています。「封印された」と書いて「”ボツ”になった」と読むわけです。これは私が提唱しているわけではありません。訳著者であるフローチャー美和子氏は「はじめに」の中で、グリム兄弟の集めた原稿に関して次のように述べています。

 

 それらの原稿のなかには、分野別の分類でメルヘンではないとされたものもありますし、どうして『グリムメルヘン集』に収録しなかったのか、今となってはまったく誰にもわからないものもあります。とにかくグリム兄弟はこれらを、今風に言うならばボツにしてしまったのです。1

 

 なぜボツにしてしまったのか、各々の原稿に関してこれと断定することはできないものの、『封印されたグリム童話』ではお話の解説とともにその理由の考察もつけられています。主な理由として挙げられるものは原著者ハインツ・レレケ氏による「読者の方へ」の中で端的に示されています。

 

 原稿のなかには、ヤコブ・グリムの字で、なぜ『子どもと家庭のメルヘン」に採用できなかったのか、その理由や疑問点を書き記したものがあります。それには、同じ話がほかにもある、完全でない、ストーリーに矛盾がある、メルヘンのジャンルに入らないとか、取りあげるには重要性に欠けるなどということが書かれています。2

 

 僭越ながら引用させていただいたフローチャー美和子氏、ハインツ・レレケ氏のことばをぎゅうぎゅうに圧縮すると、『封印されたグリム童話』は(グリム兄弟にとって)イマイチだった話集なのではないか?というのが私の全編通して抱いた感想でした。

 誤解を招くようなものいいですが、決して「面白くなかった」と言っているわけではありませんのであしからず。

 イマイチならイマイチなりにというよりは、メルヘンとしてイマイチだからこそ予想を超えてくる面白さがあるというもので、次からは私がとくに気に入っているお話、「アイゼンヒュッテル王」「ああ、かじりやがって!」「ガラスの山」の3篇を取り上げて『封印されたグリム童話』という本の面白さを語ってみたいと思います。

 

「アイゼンヒュッテル王」

 

「これは、アイゼンヒュッテル王を、便器の上で眠らせることのできる、プリンセス・マリアーネの仕業です」

 王は、怒りではらわたも煮え繰り返りそうになった。そしてマリアーネを殺すことを、再び誓った。3

 

 『封印されたグリム童話』の先鋒を務めるお話です。これを最初に持ってくるの、本当分かってる……というチョイスです。あまり中身に触れたくない、まったく前情報のない状態で詠み始めて欲しい というのが本音なのですが、これを紹介しなければ始まらないというくらい『封印されたグリム童話』を象徴しているなあと思いますし、そもそもこの記事をここまで読んでいるのって、すでに読了済で読書感想が読みたい人なんじゃあないのか?という気持ちも湧いてきたので、開き直って喋ります。

 

 昔々、3人の美しい姉妹のお姫様がいました。中でも一番美しかったのは末の妹のマリアーネで、そんなマリアーネに、アイゼンヒュッテル王という大変惚れっぽい王様は一目惚れしてしまいました。アイゼンヒュッテル王は変装して姉妹の住むお城に忍び込みましたが、マリアーネは機転を利かせてアイゼンヒュッテル王を追い出しました。アイゼンヒュッテル王はとても怒って、3人のプリンセスに復讐することを決めました。

 

 あらすじはこんな感じで、ここだけ聞けば悪い王様を頭のいい末の妹姫が撃退していくごく普通のメルヘンのように思われます。マリアーネの「機転」というのが、自分の部屋に来ようとしていたアイゼンヒュッテル王を陥れるため、便所にベッドを移して「ここが私の部屋」と嘘をつき、ベッドに上がったアイゼンヒュッテル王を肥溜めに落とすというもので、なかなか絵本にはしにくい生々しさでいっぱいではありますが、「アイゼンヒュッテル王」においてはまだかわいいものでした。

 詳細は割愛しますが、アイゼンヒュッテル王は2人の姉姫に、アイゼンヒュッテル王の持つ特別な持ち物が欲しくなる呪いをかけます。姉妹をおびき寄せて復讐しようというつもりなのです。そこでマリアーネがまた機転を利かせ、次々とアイゼンヒュッテル王の持つ持ち物を奪っていくのですが、途中から様子がおかしい。

 アイゼンヒュッテル王が復讐として姉妹に行おうとしていた仕打ちをそのままお見舞いしてやるのはまだ正当防衛といえますが、だんだん過剰防衛としか言えないほどマリアーネのアイゼンヒュッテル王に対する暴行はエスカレートしていくのです。

 だって、変装したマリアーネに対するアイゼンヒュッテル王の態度は(マリアーネと気づいていないこともありますが)とても優しく民を思いやれる君主でしかない。

 たとえば珍しいワインを求めて訪れたメード(に変装したマリアーネ)に、アイゼンヒュッテル王はすぐに許可を出してあげる。なのにマリアーネはその返事も待たないうちにこっそりワイン樽の栓を打ちこわし、珍しいワインだけ持って帰ってしまう。

 マリアーネは始めからアイゼンヒュッテル王に嫌がらせをしに来ているわけです。しかも傷ついたアイゼンヒュッテル王に文字通り傷口に塩を塗るようなこと(実際はもっとひどい)もしています。ちょっかいをかけたのはアイゼンヒュッテル王とはいえ、絶対やりすぎ。

 こんなことをやる度に残していくマリアーネのメッセージとそれに対するアイゼンヒュッテル王の決意が、冒頭の引用部分です。もはや初めに想定していた賢いお姫様と悪い王様の構図は完全に逆転しています。それでも最終的にはハッピーエンドになるんだから読者は「なんでそうなるの???」という疑問でいっぱいになりながらこのお話を読み終えることでしょう。

 なんだかもの凄くエグイ暴力描写と、私たちが慣れ親しんできたメルヘンの王道をひっくり返す物語展開とキャラクター造形、そしてなぜか最終的には「愛の再確認」というメルヘンの王道的なハッピーエンドへの帰結と、実に封印されたグリム童話らしいお話となっております。ストーリー展開的には、ひとつひとつ切り出していけば典型的なグリム童話といえるものですが(児童向けという意味でも、大人向けという意味でも)、マリアーネという1人のお姫様の暴走だけで最高に扱いにくいお話になっているというところが、”封印ボツ”という概念をよく表しているんじゃないかなあと思うのです。多分グリム兄弟も扱いかねたんだと思う。

 

 読み終えてしまうとアイゼンヒュッテル王とマリアーネがなんだかかわいくてしかたなくなる。私は、この2人、SM夫婦になってそうだな……とか下世話なことを考えていました。こんな話に最初に出会ってしまったら、もう続きを読むしかなくなるんですよ。

 

「ガラスの山」

 

太鼓たたき、太鼓たたき!

わたしのことをすべて忘れたの?

ガラスの山から解放してくれたのではなかったの?

結婚の約束をしたでしょう!

太鼓たたき、太鼓たたき!4

 

  収録順的には「ああ、かじりやがって!」が先ですが、この記事の流れとしては「ガラスの山」を先に書きたいので書きます。

 実は『封印されたグリム童話』には「ガラスの山」というお話がもうひとつ収録されています。しかし先に触れた「『グリムメルヘン集』に収録されなかった理由」のように、同じ話なのかといえばそうではありません。共通しているのは、とても人には登れそうもないガラスの山が出てくるということだけ。内容は全くの別物です。

 ここで取り上げる「ガラスの山」は、話の構成でいえば「アイゼンヒュッテル王」と同じタイプに分類できるといえるかもしれません。

 「アイゼンヒュッテル王」は大きく分けて①アイゼンヒュッテル王が城に忍び込むまで、②マリアーネによるアイゼンヒュッテル王への攻撃、⓷マリアーネとアイゼンヒュッテル王の結婚の3つの場面に区切ることができます。「ガラスの山」もまた、①太鼓たたきがプリンセスの元に行くまで、②太鼓たたきが魔女を倒すまで、⓷プリンセスが太鼓たたきに自分を思い出させるまでの3つの場面に分けられます。

 ふたつのお話に共通するのは、この3つの場面それぞれが全く別のメルヘンとして通用することです。なかなかお伝えするのが難しいのですが、「アイゼンヒュッテル王」と「ガラスの山」はまるで別のメルヘンとメルヘンを繋ぎ合わせたように複数のメルヘンの要素が含まれているのです。

 私たちに分かりやすく置き換えてみるならば、「アイゼンヒュッテル王」は①「ラプンツェル」の塔に忍び込む王子像、②「狼と七匹の子山羊」の悪役を撃退する主人公像(ただし途中から過激化)、⓷「つぐみのひげの王さま」はちょっと違いますが失ったものの大切さが分かる話という点などなど。それぞれのメルヘンの一番の読ませどころがひとつのお話の中に詰め込まれているということです。ところで上記の3つのメルヘンはすべてグリム童話です。もちろんまるきり同じというわけではないですし、そこにはそのお話ならではのオリジナリティもきちんとあるのですが……とにかく「ガラスの山」もまた、一般的に知られるメルヘンではないにしろ、その掲載箇所まで『封印されたグリム童話』を通読してきた読者には「この展開は読んだことがあるぞ?」と思える内容です。つまり「ガラスの山」は”封印されたグリム童話”の中の”封印されたグリム童話”といえるのではないか!?そう思ったため取り上げてみました。

 

 肝心の内容に一切触れていないのはよくない。もちろん個人的に好きだからということもあって選んでいるわけですので、「ガラスの山」の好きなシーンも挙げてみたいと思います。

 先に述べたとおり、『封印されたグリム童話』を通読しているとものすごく既視感に襲われるのですが、その中できらめくオリジナリティ……それが私は好きなのです。

 まず、主人公である太鼓たたきはお話の冒頭で3枚の白い布切れを拾います。それは魔法にかけられたプリンセスのシャツで、「返してもらわないと帰れない」といいます。ここ、ちょっと「あまのはごろも」を思い出しますね。太鼓たたきはシャツを返してあげるのですが、この出会いを契機にプリンセスにかけられた魔法を解いてあげたいと思うようになるのです。

 さて、主人公が王子や何の変哲もない若者ではなく太鼓たたきであるという点もあまり見ない設定で面白いのですが、私が一番気になるのはこの3枚のシャツという部分です。プリンセスの話振りから、プリンセスには少なくとも2人は姉妹がいると思われるのですが、実際に出てくるのは薪に変えられていたプリンセスとメードとして働かされていたプリンセスの2人だけです。もう1人のプリンセスは?

 太鼓たたきがプリンセスのために奔走するのは序盤で巨人の森を越えるときにしか発揮されないのも面白いし、巨人はそれ以降一切物語に触れてこないのも面白いです。太鼓たたきが太鼓をたたくのはここだけだし、あとはメードに変えられていたプリンセスが不思議な指輪の力で解決してくれます。しかも終盤は、太鼓たたきはプリンセスのことを忘れてしまうためプリンセスが何度も自分を思い出させるために頑張ります。いつのまにかプリンセスが主人公になっているのでは?

 こういうひっかかりが”封印されたグリム童話”らしいし、その中でもオリジナリティがあるなと感じるところなのです。いわゆる突っ込みどころの多さもまた、封印ボツ作品の楽しみポイントではないかなと思います。

 

「ああ、かじりやがって!」

 

「ああ、かじりやがって!」5

 

 あまりに短いので内容に触れると全部言ってしまうことになるのですが、まあ「見るなのタブー」というやつです。これ、訓話にもなっていて、ものすごく正統派メルヘンだと思うのですが、なぜ『グリムメルヘン集』に収録されなかったんだろう。多分あまりにきれいにまとまりすぎていて、他の似た系統の話と戦えなかったんだろうな……と思います。

 旧約聖書『創世記』を踏襲し、ドイツの習慣も描かれていて、今日本で『グリムメルヘン集』に混ぜて出版したとしてもきっと違和感ないでしょう。

 とくに多くは語りません。ただ、封印されていてもやはりグリム童話なんだってことです。 

 

★★★

 以上です。これ以外にもお気に入りの話として、「血まみれの頭」というのがあるのですが、これもまた毛色が違いホラーといった趣で大好きです。続きがなく突然終わるので余計余韻が引き立っていて怖いんですよね。

 ただの読書感想を書くつもりでしたが完全にプレゼンになってしまいました。しかも冗長。何か書こうと思ったものの何を書くか決めなかった見切り発車だからこうなるんだ。もっと気軽に、何でも思ったことを書いてく雑記帳なテンションでやっていきたいです。

 

1.フローチャー美和子訳著『封印されたグリム童話』(2004年、三修社、p.13)

2.前掲書、p.2

3.前掲書、p26

4,前掲書、p.171

5.前掲書、p.134